孤地獄の建設が進められていた。
さまざまな種類の人類が存在していたなか、何故ホモ・サピエンスだけ生き残ったのか?
その理由に面白い仮説がある。
「我々ホモ・サピエンスは、嘘に騙されることを好んでいたから」
嘘とは、宗教であり、映画や漫画、小説(例えばこの文章だ)などのフィクションであり、芸術であり、ドラッグなどにより得られる偽りの快楽、幻覚である。
耳障りの言い嘘で結束し、嘘の大義を得て、攻撃する。
もしそうならば、それがホモ・サピエンスの本性ならば、歴史上の様々な戦や社会上の軋轢に得心が行ゆく。
ホモ・サピエンスは優れた種ではなかった。
歴史書を紐解いて推察するに、おそらくは自分より強いものを恐れ、排除することに異常に執着する種なのだろう。
それが本性なのだ。
独裁者の誕生は自明なのである。
また、自分より強いものを排除したいが故、ずるを好む。
耳障りの言い嘘を好むため、四顛倒も当然なのである。
だが、数は少ないが、本性に勝てる者が存在する。
本性に勝てる者の多くはえてして隠者となる。
本性に勝てる者は、勝てない者とは暮らしにくい。
本性に勝てる者は、勝てない者の本性を知っており、おおむね関わってどうなるか予想できるため、勝てない者に検知されることを嫌う。
したがって、隠者となるのだ。
本性に勝てる者には、特に本性に勝てる者同士で群れよう、手を組もうという欲求はない。
しかしながら昨今のプライバシーのなさ、騒がしさに辟易し、一部の本性に勝てる者たちは辟易し、一時的に手を組み孤地獄の建設が企画されたのだ。
本性に勝てる者は自分が隠者であるほうが不要な軋轢を生まないことを理解している。
本性に勝てない者に勝てる者が見られて、そこに軋轢を生じさせないことは難しい。
お互いのためを思って、勝てない者に対して条件が悪い生活をあえて受け入れ隠者になる。
先に「本性に勝てる者は、勝てない者の本性を知っており、おおむね関わってどうなるか予想できるため、勝てない者に検知されることを嫌う。」とつづったくだりで、不快に感じただろうか。
この構成に悪意はない。
先の下りは本性に勝てない者が勝てる者の所作を一見した時の印象を表現した、続けてはその実を書いた。
そういうことなのだ。
私は運転手付きのキャンピングカーで、孤地獄入居予定者をピックアップして回っている。
打合せのためにだ。
国道、舗装が真新しい。
ショッピングモールの駐車場に止める、警備員(ぼーっとした青年)の前だ。
「ラタ-san、乗って下さい。」
「ヒロ-san、有難う。でも、私は汗だくで、そんな上等な自動車には乗れません。」
彼は夜間ずっと、道路工事の警備をやっていたのだ。
「車の中にシャワーと、着替えも用意してあります。先ずは疲れをとって下さい。」
「すべてに、有難う。」
ラタ青年は私に手を合わせた。